昔の人はどうやって髪を切ったのか?

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あなたは今までこんなことに疑問を持ったことはあるだろうか?

  • 戦国武将はなぜ頭のてっぺんを剃り上げているのか?
  • お坊さんや尼さんはなぜ一般的にスキンヘッドなのか?
  • そもそも昔の人はどうやって髪を切ったのか?

昔の人がどのようにして髪を切ったのかという本題に入る前に、まずは頭髪を剃る文化について見ておこう。

戦国武将が額から頭の中央部にかけて髪をつるつるにしていたのは、兜をかぶる際に頭が蒸れなくするためだったとされている。

これを「月代」と書いて「さかやき」と読み、実は剃っていたのではなく木製の毛抜きで地道に抜いて整えていた。

遡れば平安時代に貴族や武士が冠や烏帽子えぼしをかぶるときに額を半月状に整えて髪の生え際を見えないようにしたのが始まりだったと考えられている。

いっぽうで仏教のお坊さんや北条政子のような尼さんが頭を剃り上げてつるつるにしているのは、シンプルに雑念を払うためだと言われており、もう少しかっこよく言うと俗界と縁を断つという意味合いだとされる。

放っておいても生えてくる髪を消そうとしても消せない煩悩の象徴と考え、髪型を気にしたり薄毛を気にするといった雑念の根源として、そのような余計なことに気をとられては修行に身が入らないということだ。

仏教の発祥地である古代インドでは頭を剃ることは罪人への刑罰のひとつだった経緯があり、髪をなくすことは非常に屈辱的だと捉えられていた。

その恥ずかしさに耐えてまで剃ることで俗世への執着から解脱できると信じられたわけだ。

親鸞が興した浄土真宗は庶民に広く伝播するために教義をゆるめにした宗派であり、「帰敬式(別名:おかみそり)」という門徒になるための儀式では剃髪するがそれ以降は髪を剃らなくてもよいとされており、現代ではもはやその際も剃髪せず髪に刃を3度当てるだけで済まされるようだ。

とはいえ髪が目にかかったり頭にシラミが沸いたりしていては修行どころではないのは確かである。

曹洞宗や臨済宗など禅宗系の宗派では毎月4と9のつく日に頭を剃る習わしがあり、これは「欲(49)を断つ」の語呂合わせと毎月5の倍数日に行われる「上堂」という高僧の説法の前日に身を清めるという意味合いがある。

余談だが、現代ではお坊さんを意味する「坊主」は丸刈りのことを指すが、なぜかスキンヘッドのことではないのが不思議である。

剃刀と鋏の歴史

大昔に今のような切れ味のいい剃刀(かみそり)や鋏(はさみ)があったとは思えない。

果たして古代の人びとはどうやって髪を切ったり剃ったりしていたのだろうか?

剃刀の歴史は長い

驚くべきことに剃刀の歴史は非常に古く、旧石器時代には人類は貝殻獣の骨鮫の歯火打ち石などを刃物状に加工しており、新石器時代には黒曜石を研いでかなり切れ味のいい剃刀状の道具を作っていたことがわかっている。

黒曜石のナイフは現代の剃刀に勝るとも劣らなかったとされ、古代人の加工技術の高さには恐れ入る。

その後も人類は青銅器時代、鉄器時代と金属加工技術を進化させ、さらに切れ味のいい刃物を作れるようになっていった。

しかしよく考えると人類の起源はラミドゥス猿人まで遡れば約450万年前であり、我われホモ・サピエンスでも少なくとも20万年の歴史がある。

研究によってかなり誤差はあるが新石器時代が始まったのがおよそ1万年前、青銅器時代が5000年前、鉄器時代が3000年前であり、200万年前から始まった旧石器時代は実は途轍もなく長く、いつ頃から刃物を作り始めたのかははっきりしない。

人々は争いの際に髭をつかまれないために自己防衛の手段として髭を剃ったり髪を切ったりすることを始めたと考えられており、現代人よりも体毛が濃かった太古の人々もどうやら髭や髪や体毛の処理はしていたようだ。

刃物を作り始める以前には火で毛を燃やしていたという説もあるが、火を利用し始めるよりも先に石器を作り始めていた可能性が高く、なにしろ旧石器時代は先述のように非常に長い期間なので現時点では火と刃物のどちらが先に発明されたのかは不詳である。

1963年の学術調査団の報告では、ニューギニアの高地に住む原住民が不等辺三角形の黒曜石を手に握ってつまむようにして髭を剃っているのを目撃したとの記録が残っており、これは古代文化の貴重な生き証人だ。

日本への剃刀の伝来

日本には西暦538年頃、僧侶が頭髪を剃るための仏具として西洋から剃刀が伝来した。

当時の剃刀は神聖で高価なものであり、僧侶以外の日本人で初めて剃刀を使用したのが織田信長だと考えられている。

おそらく信長はいちいち毛抜きで抜いて月代(さかやき)を整える作業に嫌気が差して手っ取り早く処理するために剃刀を使ったのではないだろうか?

これはちょっとしたイノベーションとなり信長以降は一般の武士の間でも剃刀を使って頭髪を剃ることが流行したが、男子の髭剃りや女子が眉や襟足を整えるための道具として一般化したのは明治の文明開化以降だ。

鋏の歴史はそれほど長くない

鋏については剃刀よりはかなり遅れて発明されたと考えられている。

当初は髪を切ったり紙を切ったり布を切ったり植物を切ったりするために作られたのではなく、羊の毛を刈るための道具として生まれたという説が濃厚である。

世界最古の鋏とされているのは3000年前頃のギリシアから見つかっており、1枚の金属をU字形に曲げて作られている特徴からこれをギリシア型(日本における和鋏)と呼び、紀元前27年頃の帝政ローマ時代から見つかった2枚の金属をX字形に組み合わせたものはローマ型(一般的によく見る洋鋏)と呼ばれる。

U字形の鋏であるギリシア型は大陸を通じて中国や朝鮮に伝わり、6世紀の飛鳥時代頃に日本にも伝来したと見られ、奈良の珠城山古墳から出土した日本最古の鋏は中国で改良された中央部が8字形になった鋏を国内で真似て作ったものである。

鎌倉の鶴岡八幡宮には北条政子が化粧道具として髪を切るために使っていたとされる菊の御紋入りの和鋏が所蔵されており、これが日本最古の美容に用いられた鋏と考えられている。

ローマ型は鉛や針金の切断にも用いられていた形跡が確認されており、こちらは室町時代以前には伝来したと見られている。

この初期の洋鋏は活け花や植木の手入れに用いるために日本で独自の改良を遂げ、今でも使われているような洋鋏は戦国時代頃にヨーロッパから伝わったが、高級品であったため江戸時代は外科手術など特別な用途のみに使用され、現代のようにヘアカットに使われるようなことは少なかったと考えられている。

中世ヨーロッパにおいて医師は内科的な診察を専門とし、理容業や歯科治療は長らく外科医が兼ねて理容外科という括りで施術されており、髭剃りを含め切開など剃刀や鋏のような刃物を扱うのは外科医の仕事だった。

日本では床屋や理容室のようなものは13世紀頃から髪結いのために存在したが、理容師が髪を切るようになったのは明治維新で断髪やパーマが海外から流入してからのことである。

そのため鋏が一般的に手に入るわけではなかった時代においては、オシャレのために髪を切るということは特権階級にだけ許された行為であり、明治以前の一般庶民の髪は小綺麗に整えられてはいなかったのだ。

人類の進化

ところでよく誤解があるのが、アウストラロピテクスから現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)へとポケモンの進化のよう直系的に進化したわけではない

例えば「鳥」とか「魚」と言っても無数の種が存在するように、かつては同じ時代に何種類ものヒト属が生きていたのだ。

トバ・カタストロフ理論によれば、約7万年前のインドネシア・スマトラ島のトバ火山の大噴火により寒冷期が訪れて多くの生物が死滅し、ヒト属のなかで生き延びたのがネアンデルタール人とデニソワ人とホモ・サピエンス・サピエンスだった。

その後にネアンデルタール人やデニソワ人といった旧人が絶滅したのは他のヒト属との混交により虚弱になり伝染病によって滅んだとか、クロマニョン人らとの武力衝突や獲物の競合に身体的知性的な能力差で負けたからとか諸説あるがまだ結論は出ていない。

現生人類も絶滅間際の1万人以下まで激減したが、驚異的な持ち直しを見せて2022年現在は約80億人に迫っている。

21世紀の今ではレーザー脱毛や光脱毛といった永久脱毛が男女問わず流行しており、体毛がないことが当たり前となった未来においては剃刀は遺物のひとつとなっているかもしれない。

そのとき我われの遠い子孫たちは遺跡から謎の刃物を発見して「これは何に使ったものなのだろう?」と頭を悩ませていることだろう。